2013/05/19

続けることは王である〜僕たちと成功者の違いについて〜


一万時間練習すれば"本物"になる




マルコム・グラッドウェル著『Outliers』の日本語訳『天才!成功する人々の法則』(勝間和代訳、講談社)を今さらに読んだ。邦題で絶対に損をしている、素晴らしい本だった。天才や世界トップと呼ばれる人々は、なぜそう呼ばれるようになったのか。グラッドウェルはこの理由を神様や生来の才能ではなく、出自、機会、そして一万時間という時間に求めた。

ビートルズはアメリカに上陸する前に何をしていたか。ドイツ・ハンブルクにあるクラブで1日8時間、しかも週に7日、観客を前に全力で演奏していた。1964年に爆発的ヒットを起こし始めたときには、彼らはすでに1200回のライブをこなしていたことになる。
ビル・ゲイツがマイクロソフトを立ち上げる前に何をしていたか。1971年というほとんどの大学にコンピュータのない時代に、たまたまタイムシェアリングというシステムを搭載してプログラミングを存分に学べるコンピュータが大学と近くの会社に導入され、しかも無料で使える機会に恵まれたことでコンピュータルームに入り浸った。マイクロソフトという小さな会社を立ち上げたときには、7年間ぶっ続けでプログラムの開発に取り組んでいた時間の蓄積があった。などなど。

スポーツや音楽で天才と呼ばれるようになった子どもたち。彼らは8歳くらいになると、他の誰よりも多く練習に励むようになっているそうだ。それには比較対象となる生まれ月の問題も存在し、選抜など並外れた機会に恵まれてさらに練習時間に差をつけていく。そうして10年ほどで、一万時間へと到達する。
「頂点に立つ人は他の人より少しか、ときどき熱心に取り組んできたのではない。圧倒的にたくさんの努力を重ねている」とは著者の言葉だ。

一万時間とは途方もなく膨大な量の時間だ。けれども時間をこなすことで"本物"と呼ばれるものになっていく。



1冊の本を作るのに、15年。




遅ればせながら映画『舟を編む』を観た。不覚にも上映中にじわじわ浮いてくる涙を止められなかった。今でも思い出すとほんの少しだけ画面がぼやける。

この映画の何が素晴らしいといえば、このせわしい現代において1人の大したことない主人公を用いて表現した、人生の長さだ。
辞書を作るのには、掲載する用語を集めて、それらの用例を採集して、校正を5回も繰り返す。10年とか28年とか、完成にはそれくらいの時間の長さが必要らしい。

営業に向いていない主人公は、本や文字に没頭する能力があった。辞書編集部に異動した主人公は、ハチワンダイバーよろしく言葉の海に深く潜る。掲載する用語を集めて、それらの用例を採集して、校正を繰り返す。掲載する用語を集めて、それらの用例を採集して、校正を繰り返す。完成には10年くらいかかると聞かされて、途方の無さに意気消沈するのでなく文字を書く手を速める主人公。目標をセンターに入れてスイッチを押す仕事とは一線を画す。

続ける。続ける。続ける。続けていると環境の変化に悲しむこともあるけれど、それでも続けることを続けて、一冊の本が作られていく。その姿に心動かされたのはきっと僕だけではない。自分に照らしあわせたのもきっと僕だけではない。

「マジメって、面白い。」映画にはこんなキャッチコピーが付けられている。そうだマジメは面白いものなのだ。みんなのマジメもきっと面白いことになるはずだし、僕のマジメもきっと面白いことになるはずだ。





1つのリーグを続けて、20年。




2013年5月15日、我が国のサッカーを世界で稀に見る速度で成長させたJリーグが20年を迎えた。
Jリーグは「百年構想」を掲げ、理念の達成のため日本において果たす役割を強めようと努力を続けている。この20年の間には幾度かの危機があった。創設バブルが弾け観客数が激減した時、横浜フリューゲルスという強いクラブが無くなった時、他にも存続を問われたクラブは1つや2つではない。それでも40のプロクラブができ、リーグは20年を迎えた。

Jリーグの目下の力点といえば、地域密着と全国的人気とのバランス、さらには東南アジア進出である。一時代を支えたゴン中山が引退してもまったく揺らがない大きな流れができていることに、僕はなんだかとても驚いている。




1つのクラブに、26年。




マンチェスター・ユナイテッドで26年間指揮を執っていたアレックス・ファーガソンが今シーズンでの引退を決めた。
また、それに続くように、90年代後半からファーガソンと共に一時代を築いてきたマンチェスター・ユナイテッドの名選手、デイヴィッド・ベッカム、そしてポール・スコールズの両名が引退を決めた。僕の人生にとってのサッカーは、間違いなく時代が一巡りした。

ファーガソンは現代サッカーにおいては並ぶ者のいなかった長期政権を実現した監督だ。現代サッカーでは3年を待たずして監督が入れ替わることが当然のようになっている。数試合結果が出なかっただけですぐに解任となる。たとえ数年良い成績を収めていたとしても、マンネリ化という別の壁が立ちはだかり上手く回らなくなることが多い。

ファーガソンは決して世界で最先端の戦術を持っているわけでも、最高の選手補強を行っているわけでもない。ただ世界トップの選手がみな萎縮するほどの覇気と勝利への野心を持ち続け、勝利のために時代に合わせて自らを改革していった稀有な人物である。アーセナルが強かった時代はアーセナルを強烈に意識し、チェルシーが強かった時代はチェルシーに勝つチームを編成し、バルセロナが最強となりつつあった時代はバルセロナから学び盗み上回るべくスタイルを変えた。

そうして四半世紀を超えてサッカー界のトップを争い続け、監督1人で3回もの大幅なチーム若返りにトライし、結果38ものタイトルを手にした監督は、敵味方隔て無く世界中から感謝を浴びてピッチから去っていった。僕の見たこともない景色だった。





続けることを続けること。




僕たち凡人は、成功者を持ち上げるのに不必要な壁まで作り、違うものとして扱おうとする。けれどもこれらの例を見ていると、僕たちと彼らとの違いは「続けた時間の長さ」この一点に集約されるのではないだろうか。

続けていると、途中には山や谷がある。それでも続けることを続けると、人の心を動かす何かを成し遂げることができる。1時間や3ヶ月や1年というスパンで物事を見て悪いわけではないが、一方で持つべき長い目というのは、僕らの想像よりもっともっと長くてよいのではないだろうか。


ここ最近だけでも、こんなにたくさんの例があった。そのどれもが僕の心を動かしてくれるものだった。僕は成功者になりたいのか分からない。それよりはゆるゆると暮らしたいのかもしれない。けれども彼らの「続けることを続けること」に少しでも習いたいと思っている自分がいる。



2012/10/16

酒、プログラミング、英語、フットボール。



「グローバル化とは何か」という問いを立てて考えるのは今度にするが'(まあ今回は『地球規模で広まってる』くらいの意味に取ってほしい)、とにかく数百年前に比べたら、輸送コストが大幅に下がったことで、人やモノやサービスは簡単に国境を越えられるようになった。

そんな世界で楽しく生きていくために大切なこととはなんだろう。僕は一つ大きな鍵になるのが「グローバル」に「感情が伝えられる、共有できる」ものを持っているか否かだと思う。それは英語というだけじゃない。世界の色々なところで『キミは良い奴(おもしろい奴)だね!』と思ってもらえる、その意思疎通のために使える武器は他にもあるはず。


例えば酒はどうだろう。酒は有史以前より世界の至るところで伝わる、人類の友である(僕の大好きなヤン・ウェンリーがそう言ってた!)。
国税庁の「酒のしおり」平成24年3月版によると、日本人は成人1人が1年間で平均26.6lのビールを飲んでいるらしい。その他日本酒、リキュールなど全て足した総量は81.8lで、日本人は3日に2缶は酒をぷしゅっと開けていることになる。とんでもない飲ん兵衛国家だ(ところでこの統計、なぜか沖縄県が抜かれている。なぜだ)。
この酒量はすごいと思いきや世界にはまだまだ上がいるようで、この統計 http://www.worldcareer.jp/ranking/detail/id=5(2008年あたりだろうか)を見ると、どこの国も酒飲みばかり抱えていることに疑いの余地はない。酒には初めから国境などなかった。
日本の「飲みニケーション」は確実に減少傾向にあるようだが、相変わらずビジネスにおいて重要であるとの認識は根強く残っているようだ。友人とも「とりあえず飲もう」なんてよく言っている。先日ベネズエラから仕事でお客さんが来たが、彼とのお酒はとても美味しかった。僕は勉強不足であまり英語が得意でないのだけれど「これが僕の娘。これが僕の家の裏にある山。きれいだろ」って会話において彼が何を伝えたかったのかは分かるし、仲良くなれたといえる。
世界の酒の場にアクセスできるというのは、酒が飲めるというのは、酒が好きであるというのは、それだけで多くの人と特別な関係を築ける武器なのではないだろうか。日本酒の一本でもあげれば酒盛りのホストになれるし、外国の人にプレミアムモルツを飲ませれば、こんな美味いピルスナーが日本にあったのかと驚いてくれるはずだ。誰か『武器としての飲酒思考』という本を出したらいい。


グローバル化において、インターネットの果たした役割はやはり大きいだろう。特に仕事に国境をなくした点は評価されるはずだ。輸送コストを下げた主役はインターネットで、これが仕事を新興国にアウトソースする流れを加速させた。さらには新興国市場でシェアを取った製品を先進国市場で暴れさせる『リバース・イノベーション』という戦略も生まれている。本が人気だがまだ読んでいない。
インターネットを支えるのは当たり前だが創るひと、coder(コーダー)であると思う。彼らは話す言葉は違えど、書く言葉によって何を伝えたいか、相手に分かってもらえるらしい。先輩が中国でほぼ言葉なしに、しかしPC上では活発なコミュニケーションを行って中国人と仕事をしているという話を聞いた。手で筆を取って書くよりもとても早く多く文字のやり取りができるから、コミュニケーションのタイムロスはあまりないのだろう。キーの打つ音で「違う違う!」「なるほど」とかを表現できるらしい。とてもおもしろい。


英語の話者は現在15億人ほどのようだ。意外に少ないと思ったが、特にビジネスの現場において絶対的な公用語としての地位を確立している。その公用語としての優位性は、母語としての話者が14億人ほどいる中国語でさえ切り崩すのは容易でないだろう。
日本にもだいぶ、英語を話す必要性もしくは話せない状態の危機感が個人レベルに浸透しているように思う。特に若い世代は収入も低く、今後も上がる見通しは暗い人が多い。それどころか会社の新卒教育のコストを考えると、新卒枠削減による「あらかじめ解雇」の対象に入っているのかもしれない。
「世界の人々とコミュニケーションするための英語」という能動的な理由よりは「解雇されないための能力」や「仕事に必要だから」という受動的な理由で英語を習得する人も多いのだろうが、そんなので学びの動機としては充分なように思う。学んでいて、そのうち楽しく会話できればいいのだ。
日本語のみの話者よりは、日本語と英語を話せる人の方が解雇されにくいであろうし、解雇されてもどこかで次の職が見つかるはずだ。感情を多くの人に伝えられるであろう。性格もオープンになるのかもしれない。


最後に欠かせないのはフットボールではないか。W杯はのべ200億人が観戦するといわれるように(世界中1人あたり3試合は必ず観る計算!)、特にフットボールは凄まじい普及度を誇る。よく「フットボールファンは労働者階級ばかり」という意見をみかけるが、近代フットボールは上流階級子弟の通うパブリックスクールや卒業生によってプレーされていたし(経済力をつけた新興の資本家が上流階級の仲間入りを果たすために子弟をパブリックスクールに送り込んでいたので、広い意味では真の上流階級スポーツではないともいえるが)、現在の広がりは到底労働者階級うんぬんで括られる規模のものではなく、批判にはなっていない。暴動は批判してよいのだが、暮らしに不満を持った人々が感情を発露させやすい環境だという理由でフットボールを批判するのは矛先が違う気がする。
娘がサッカーをプレーしていることで有名なオバマ大統領や、2006ドイツW杯でドイツの全試合を観戦したというメルケル首相の例もあり、別に労働者然とした人々のみが好むスポーツというものではなさそうだ。そういえば彼らは5ヶ月前のG8首脳会議でもチャンピオンズリーグ決勝を観戦しニュースになっていた。写真をご覧頂きたいのだが、みんなの感情が出ていてなんとも笑ってしまう光景だ。
http://www.sanspo.com/soccer/news/20120521/int12052112020006-n1.html
僕は中学2年の頃に日韓W杯のサウジアラビアvsアイルランドを観に行ったが、そこでアイルランド人と肩を組んで写真を撮ったり(数年後ネットを徘徊していたら、日韓W杯美女画像集に出ていた!)Nippon! Ireland!コールをお互い掛け合い笑い合ったことは生涯忘れられないコミュニケーション体験であった。
中学3年には草サッカーチームを作り部活と並行して近隣の大人ともプレーしていたが、思い返すとただの中坊の僕は、サッカーという共通言語(サッカーと呼び名のついた身体運動といってもいい)を介してのみ大人と深く接点を持つことができ、しかも接点が1つにしては多くを学べていたと思う。たまに外国人ともプレーしているが、はっきりいってHey!とYeah!だけでも充分に分かり合えるようになる。言語なんてそんなもんだ、という気持ちにさせてくれる。
海外経験のある人の体験談や、中田英寿らサッカー選手のインタビューや、サッカーマンガでも同様のことは理解してもらえるはずと思う。言語としてのフットボールは非常に優秀である。


実は赤ちゃんは「グローバル」であり「感情が伝えられる、共有できる」武器を持っている。泣くことだ。では大人になったあなたはどうだろうか。僕らは泣くことをやめた代わりに、何か他の武器を身につけているのだろうか。僕らは何をもって世界の人々に『キミは良い奴(おもしろい奴)だね!』と思ってもらうつもりだろうか。



僕らより狭い地球に暮らすはずの僕らの子供に、持たせたい武器は何だろうか。