2012/09/23

映画「コッホ先生と僕らの革命」を観て

 

オックスフォード大学に留学し、イギリスからドイツにサッカーを持ち込んだコンラート・コッホという19世紀のドイツ人先生を描いた「コッホ先生と僕らの革命」の感想をネタバレ極力抑えて書いていきます。とても面白かったので、サッカー好き・映画好きはぜひ有楽町のTOHOシネマズシャンテ(東京はここだけ)に足を運んでみてください。スポ科卒業から半年、大分忘れているが…


【0】
コンラート・コッホ先生は確かにドイツサッカー協会創設など映画後にも活躍しますが、サッカーだけでなくクリケットや体操など様々なルール翻訳をやった人だとか。単純にサッカーを持ち込んだというより、スポーツの思想を広めたという理解が妥当かと思います。


【1】
個人主義の芽生えとともにスポーツは階級を越えたわけですが、その途上にあった階級入り交じる学校の貴族・労働階級の子供の様子が端的によく表れていました。同じ学校にいるまでになってきた労働者階級を苦々しく思う貴族階級という分かりやすい構図。

ただ、立場を取りきった大人と違い、子供たちはそうした壁をふとしたきっかけでけっこう簡単に越えるんですね。そのツールにサッカーが使われたと。ワーワー入り交じる競技性が、見えない壁を感じさせる時間を与えないという。握手とか、いい光景ですよね。



【2】
次に、サッカーの教育的魅力が『フェアプレイ』と『チームプレイ』を学べるところと特化されていたのが印象的でした。階級意識を持ち込んだあからさまなファウルとか、今では国家・人種間になら極一部あるかもしれないシーンが当時は国民間でもあったんだなと。

映画では近代ドイツのスポーツの変遷が『シュピースのトゥルネン→スポーツ』という感じで大まかに表現されていました。トゥルネンとは学校にあって学校からある意味切り離された愛国心・強い身体の育成をする国民的なプログラムを指しますが、提唱者であるヤーンのトゥルネンは大衆にひろく支持された結果、当時は進歩主義的すぎて禁止の公布を受け退けられ、代わりにアドルフ・シュピースが体制に支持される新しいトゥルネンを提示する。これが映画にもあった従順な臣民をつくるための号令と体操。

ヤーンが提唱したのはもともとスポーツに近いものでしたが、皮肉にも活動を広めるうえで学校という国民的プログラムに組み込むことができたのは、軍事訓練に変形したシュピースのトゥルネンでした。だからスポーツの芽はコッホ先生以前にも存在していた。

【3】
あとやはり、『国家』を敵味方に分けると当時でも今でも興奮するものがあるのは変わらないんだなあと。ここ数百年人間が積み上げてきた国家という文化の良いとこが「偉大なゲームだ」というセリフに表れていたような気がします。



東欧出身の選手が反論していたりしますが 、サッカーを戦争に例えた名言が世には多くあって、僕らはサッカーの結構な部分を「擬似戦争」として楽しんでいる。見たり知ったり語ったりすることで試合に向けたドラマを創っていって、サッカーの試合に何かを重ね合わせるのは、今もみんながやっていることだ。そうして得たカタルシスは多くの人を楽しい気持ちにさせている。戦争ではなく擬似戦争で済ませようというのだから、非常に理性的だ。決して野蛮でもないし、悪いことじゃないと僕は思う。

【4】
軽快なユーモアが映画全体を包んでいて、どんな人でも飽きずに観れる映画かと思います。進歩的な者の取り組みは応援したくなるし、体制側は憎くなるし、子供の成長をみるのは楽しい。そんなシンプルな映画でありました。
スポーツが持ち込まれるとその平等性により既存の権威構造(これを道徳と呼んだりする)が崩れるので、身分・性別・年齢差別を撤廃する教育効果というのは期待できるかもしれない。その上で、新たな『良い』構造を創ろうという努力も教育的なのかも。