2015/10/24

ウェアラブルは大変なものを盗んでいきました

あなたのデータです
 

『ウェアラブルは何を変えるのか』(佐々木俊尚、Kindle版)を読んだ。

ウェアラブルとは「身に着けることが可能である」という意味であり、いま話題のウェアラブル端末グーグル・グラスやテレパシー・ワンなどがこれまでの機械と変わるのはその点だけと言ってもいい。
けれどもウェアラブルは機械の目覚ましい発展の上に現れた、「機械との共生の未来を感じさせるムーブメント」と解釈できる。筆者は本書のなかで「私はウェアラブルが、遠くない将来に電子デバイスの主流になっていくと考えています。」とまで述べる。そんなウェアラブルをよく知るために本書はすごく良いインプットの機会を提供してくれる。これが389円って、安すぎませんか?
筆者によるとウェアラブルが電子デバイスの主流になっていく理由は「ウェアラブルが、身体とインターネットをダイレクトに接続させる基盤となっていくから」であるという。確かにSF的な未来には身体に機械が埋め込まれているのが相場だが、まだあれに遠い未来感を覚えてしまっている我々を1ステップ近づけてくれるのは、身体に着いていることを忘れてしまうような機械なのだろう。

ウェアラブル発展の4つのキーポイント

筆者はウェアラブルが電子デバイスの主流になっていくためのキーポイントを4つ挙げている。
①ウェアラブルに適した新しいユーザー体験(UX)が出現する
②センサーによって身体や物理空間がダイレクトにネットに接続される
③ネットからのフィードバックを、コンテキストに沿って身体や物理空間が受け取る
④それによって私たちの身体や物理空間は、「モノのインターネット」が合体されていく
僕はいまNIKEのFuelBand SEというフィットネス系のウェアラブル端末を毎日身に着けているが、この商品は4つのキーポイントを非常に丁寧にクリアしていると感じる。FuelBandは毎日の運動を記録する3軸センサー付き(20〜30cm腕を動かすだけでも反応してくれる精度である)腕時計型デバイスで、独自のFuelという単位によって、歩数やカロリー計よりも感覚的に非常に精確に「自分は今日どれくらい運動(行動)したのか」のフィードバックをくれる。これによって毎日の徒歩通勤がゲーム感覚になったり、もう少しアクティブになろうというモチベーションになったりしている。これが①と②のクリア。
さらにはiPhoneアプリと連携ができ、自分の運動データがリアルタイムで視覚的に分かりやすく表示されていく。SNSとの連携により自分の運動データをオープンにしたり、友達と日々のFuelを競ったりできる。これは意外に高いモチベーションになる。いつの間にか僕の生活にはこういったデバイスが自然に入っていき、健康という領域では彼らのくれる情報も大切に日々を生きていくことになる。これで③と④をクリアする。①②に比べれば③④はやや弱く、今後の進化に期待するところだろう。
本書では
1.極小チップやブルートゥースLEなど超小型化を推し進める技術発展、コントローラとしてのスマートフォンの普及で「モノのインターネット」世界が広がること、
2.デジタル情報をデジタルのまま見せるのではなく、実際に触れることの可能な、それによって情報を操作できるインタフェースという「タンジブル・ビット」概念の紹介、
3.Googleが特許を新生しているジェスチャー操作の進化、
4.私たちが(コンテキストに沿って)何を求めているかを、デバイス同士がお互いに通信することで勝手に分析・判断を下して有益な情報を提供してくれる「アンビエント・インテリジェンス」世界の紹介、
これらの提示によってウェアラブルなデバイスが実現することを述べている。それぞれ非常に面白い論点で、また人間の生き方を問われる深い問いを投げかけてくれる。上の各用語についてはぜひ実際に読んで知ってほしい。

「データを取られてて気持ち悪い」をどう解決するか

センサーやウェアラブル端末の未来を考えるにあたっては、ひとつ「プライバシー」の問題が大きく立ちはだかっている。自分の詳細な情報をオープンにしてしまうことのリスク、また写真を撮るなどでは知らず知らず他人を巻き込んでしまうことなどのリスクがある。現行の個人情報保護法に抵触しない範囲でも、例えば店内カメラを解析し自分が「5日前にも来店し、シャツ売り場を見たけど買わないで帰った人」であると知られた上で接客対応などされたら、誰だって気持ち悪いと感じてしまう領域がある。
筆者はこの「気持ち悪さ」に特効薬はないが、対処療法があると述べている。それはお客さんに「利便性」を十分に与えてあげることだという。マーケティングデータに使いますなどと本人の向こう側に行ってしまうだけでなく、ちゃんと本人に良いフィードバックを与えてあげられれば気持ち悪さはいくぶん解消できるというのだ。
僕はこの考えに感覚的にとても賛同できる。振り返ってみれば、得体の知れない気持ち悪さを克服してきたのはいつも自身の快適さだったように思う。「なんだか嫌だ」という理由でLINEを使っていなかった自分が今では思い出せないし、NIKEのFuelBandは僕の毎日の運動量や消費カロリー、友達情報をクラウドで記録し続けている。
ふと見た時に「お〜今日のノルマをクリアしてる!よく動いたなあ」とか「あっこの5日間は全然動いてない!ちょっと遠くまで歩きに行こう」と感じさせてくれるフィードバックは、情報をあげるに十分と思っていたりする。僕自身のフィットネス情報は、少なくともクレジットカード情報よりは直接被害のない情報かな、とも。もちろん境界線は人によって様々で、だからこそ様々なウェアラブル端末が世に出る意味がある。

スポーツの価値を今こそ

筆者はウェアラブルが普及するポイントとなるのは恐らくフィットネス分野であると睨んでおり、僕も同意見だ。いきなり体に埋め込んで生活すべてを記録してもいいよと言えるほど、僕はまだ機械と仲が良くない。しかしフィットネス分野に限っては、僕の生活向上のために僕の手の届かないところの情報をくれる良き「パートナー」になってくれている。着けてふた月ほど経つが、社員証を忘れたことはあっても、FuelBandを着け忘れたことはない。というか着け続けていたら、普段は着けていることを感じないようになった。持つことが楽しいからであろう。
そしてこの「フィットネス」と「楽しい」をつなぐのがゲーミフィケーションであり、僕の好きなスポーツであるように思う。まだまだ多くの人にとって運動はできればあまりやりたくない、苦しいものと認識されている。スポーツが本来的に持つ「日常からの逃避」や現代の「競技性」こういったものをうまく活用して人々のフィットネスを向上させる。これがビジネスでできれば、スポーツはただTVで観るだけのものじゃない、辛さや我慢や感動を売り続けるだけのものでもない、人々の生活を楽しみながら良くするものだと示すことができる。そういった絶好のチャンスが到来しつつあると思う。
この点FuelBandは個人のモチベーションを高める様々なゲーム的仕掛け(毎日のゴール設定、達成時のセレブレーション、動いていないときの叱咤激励)、友人と競争できるソーシャルな仕掛けが満載されており、ややアクティブな人寄りではあるものの人々の生活にスポーツを溶けこませることに上手く成功していると思う。これを越えるのは容易ではない。

未来は僕らの手の中

『機械との競争』のアドバンスドチェスの面白い話も紹介されていた。現在のチェス界最強はプロの人間でも、その人間にほぼ負けなくなっているコンピュータでもなく、コンピュータの打つチェス(ソフトウェアの裏側についてだと思う)をよく理解したアマチュア人間とコンピュータのコンビなのだという話だ。人間がコンピュータのできることをよく理解し友人のごとく受け入れるとより良い未来が待っているのだという、希望に溢れた示唆である。
ウェアラブルはこの機械と人間の共生の未来をけっこう鮮明に描けるようにしてくれそうだ。


レッドブルはなぜ世界で52億本も売れるのか

『レッドブルはなぜ世界で52億本も売れるのか』(ヴォルフガング・ヒュアヴェーガー、日経BP社)を読んだ。

これだけ爆発的にヒットし若者の生活の一部と化したのに、未だ社長の名が知られるどころか姿さえそうそう見ることのない「企業としてのレッドブル」に焦点を当てた本。すごく面白い。★5つ!
レッドブルは1984年に、タイのクラティンデーンという栄養ドリンクに目をつけた元ユニリーバのディートリッヒ・マテシッツが設立した会社。成り立ちから製造に携わらず、マーケティングと販売の会社であることを運命づけられていた。マテシッツがメディアの前に意図的に姿を現したことは2度ほどしかないそうだ。レッドブル社で働く女性が「マテシッツ氏は実在するのですか!?」と取材中の著者に聞き返したとか。本当に謎めいている。

スポーツマーケティングの鬼

しかしマーケティングにおいては謎めいても何でもなく、名前の通り力強いブランディングによって世界市場を制圧した。「レッドブル、翼をさずける(‘RedBull gives you wings.’)」というコピーができるのに1年半も費やしたこと、レッドブルとアルコールを混ぜたドリンクに対して医者が警告を発するもののクラブの若者を中心に普及してしまっていること、数々のエクストリーム・スポーツを支援し、大会を作り、スポーツすら創ることで、アスリートやスポーツの持つ芸術性とレッドブル飲料を深く深く結びつけようとしていることなどが次々と語られる。「レッドブルを飲むということは、単に喉の渇きをいやすだけでなく、新しい世代のライフスタイルを体験することにほかならない」
特にページが割かれているのはスポーツマーケティング。F1のみでなく、サッカー、アイスホッケー、ウィンタースポーツなど。レッドブルは年感総売上の3分の1をマーケティングに費やし、そのうちの3分の1をスポーツに投入するという「ルール」があるようだ。サッカーはザルツブルグ、ニューヨーク、ライプチヒ(ドイツ下部)のクラブを買収し、さらにはあまり知られていないがブラジル・サンパウロ州2部のクラブ、ガーナ首都ソガコペのクラブを持ち、立派な育成施設を建ててヨーロッパのレッドブルクラブに送り込む流れを創ろうとしている。

動機、非オリジナル、独立自尊。

読み進めると、レッドブル社は栄養ドリンク以外にも数多くのビジネスに挑戦し、数多く失敗しているというのがわかる。成り立ちからしてまったく新しいプロダクトを生み出したりマーケティング手法をとったわけでなく来ている。ここでマテシッツが天才でもなんでもなく、基本に忠実な経営者であることが分かるのだ。
著者は彼から得られる教訓を
1.ビジネスはそれを始める動機が大切だということ
2.ビジネスの端緒となるアイデアはオリジナルである必要はないということ
3.経営における「独立自尊」が重要であるということ
とまとめている。多くの人が派手さからレッドブルをアメリカの企業と思っているが、実際はオーストリアに拠点を構える「非アメリカ的」な経営者なのだ。


現代人を悩ます「不確実な未来」に対応するシナリオ・プランニング

『シナリオ・プランニング』(ウッディー・ウェイド、英治出版)を読んだ。

本書はこれまでの企業の戦略・長期計画の立て方では、現代の急激な外部環境の変化にうまく対応ができていないと述べており、その対処の手段としてシナリオ・プランニングを紹介している。『ビジネスモデル・ジェネレーション』と同じ本の形をしているが、こちらのほうが実践的ではるかに読みやすい。『ビジネスモデル・ジェネレーション』は現状把握がとてもやりやすいものの、外部環境の急激な変化や新しいモデルを描くのがとてもやりにくい面があるように思う。それをカバーしてくれるのが『シナリオ・プランニング』という理解でいる。
以下に納得できればシナリオ・プランニングの理解も実践も早く行えると思う。
・現代の問題は複雑化し将来への不確実性が高まっており、誰もが納得の行く将来ビジョンの設定が難しくなっている
・解決のための具体的な方法論が強く求められており、シナリオ・プランニングを推奨する
・シナリオ・プランニングは計画ではなく行動のためのツールであり、起きるか起きないか分からない複数の未来を描き、それに「備えよう」とすることに大きな意味がある
・未来は予測するものでなく想像する、そうして未来をポートフォリオで捉えることが重要だ。

企業戦略も細かな修正が必要な時代に?

具体的なシナリオ・プランニングの手法だが、決まった形はないと述べた上で、以下の順序で行っていく。ちなみに多様なバックグラウンドを持つ20人ほどで取り組むことを推奨しており、ここが最もハードルが高い。。
①課題を設定する
②情報を収集する
③未来を動かす「ドライビング・フォース(原動力)」を特定する
④未来を左右する「分かれ道」になるような要因を見つける
⑤シナリオを考える
⑥骨組みに肉付けし、ストーリーを描く
こうしてシナリオを(本書では2×2マトリクスを描くため4つ)複数描いたあとで、適宜の修正のために
⑦シナリオを検証し、追加の調査項目を特定する
⑧シナリオの意味をくみ取り、取りうる対応を決める
⑨目印(どのシナリオが実現しそうか、の)をさがす
⑩シナリオを観察し、更新する
上記のプロセスを経る。非常に分かりやすい。本書は半分はケーススタディになっており、新聞協会や島国の国家産業機構など豊富な作成例で参考になる。はず。
シナリオ・プランニングという手法自体は石油危機時代からあるようだが、現代の外部環境の変化が激しさから、PDCAのサイクルを超高速で回して云々という大きな流れが、開発からサービス運用、企画・営業のみならず企業戦略立案のレベルにまで及んできたと理解している。キーになっているのはやはり現状を精確に把握するためのデータアナリティクスではないかと感じるので、基本的な素養を身につけておきたいと思う。
ちなみにフットサル仲間が本書の出版に関わっており、とても元気をもらった。面白い本をありがとうございます!


2013/05/19

続けることは王である〜僕たちと成功者の違いについて〜


一万時間練習すれば"本物"になる




マルコム・グラッドウェル著『Outliers』の日本語訳『天才!成功する人々の法則』(勝間和代訳、講談社)を今さらに読んだ。邦題で絶対に損をしている、素晴らしい本だった。天才や世界トップと呼ばれる人々は、なぜそう呼ばれるようになったのか。グラッドウェルはこの理由を神様や生来の才能ではなく、出自、機会、そして一万時間という時間に求めた。

ビートルズはアメリカに上陸する前に何をしていたか。ドイツ・ハンブルクにあるクラブで1日8時間、しかも週に7日、観客を前に全力で演奏していた。1964年に爆発的ヒットを起こし始めたときには、彼らはすでに1200回のライブをこなしていたことになる。
ビル・ゲイツがマイクロソフトを立ち上げる前に何をしていたか。1971年というほとんどの大学にコンピュータのない時代に、たまたまタイムシェアリングというシステムを搭載してプログラミングを存分に学べるコンピュータが大学と近くの会社に導入され、しかも無料で使える機会に恵まれたことでコンピュータルームに入り浸った。マイクロソフトという小さな会社を立ち上げたときには、7年間ぶっ続けでプログラムの開発に取り組んでいた時間の蓄積があった。などなど。

スポーツや音楽で天才と呼ばれるようになった子どもたち。彼らは8歳くらいになると、他の誰よりも多く練習に励むようになっているそうだ。それには比較対象となる生まれ月の問題も存在し、選抜など並外れた機会に恵まれてさらに練習時間に差をつけていく。そうして10年ほどで、一万時間へと到達する。
「頂点に立つ人は他の人より少しか、ときどき熱心に取り組んできたのではない。圧倒的にたくさんの努力を重ねている」とは著者の言葉だ。

一万時間とは途方もなく膨大な量の時間だ。けれども時間をこなすことで"本物"と呼ばれるものになっていく。



1冊の本を作るのに、15年。




遅ればせながら映画『舟を編む』を観た。不覚にも上映中にじわじわ浮いてくる涙を止められなかった。今でも思い出すとほんの少しだけ画面がぼやける。

この映画の何が素晴らしいといえば、このせわしい現代において1人の大したことない主人公を用いて表現した、人生の長さだ。
辞書を作るのには、掲載する用語を集めて、それらの用例を採集して、校正を5回も繰り返す。10年とか28年とか、完成にはそれくらいの時間の長さが必要らしい。

営業に向いていない主人公は、本や文字に没頭する能力があった。辞書編集部に異動した主人公は、ハチワンダイバーよろしく言葉の海に深く潜る。掲載する用語を集めて、それらの用例を採集して、校正を繰り返す。掲載する用語を集めて、それらの用例を採集して、校正を繰り返す。完成には10年くらいかかると聞かされて、途方の無さに意気消沈するのでなく文字を書く手を速める主人公。目標をセンターに入れてスイッチを押す仕事とは一線を画す。

続ける。続ける。続ける。続けていると環境の変化に悲しむこともあるけれど、それでも続けることを続けて、一冊の本が作られていく。その姿に心動かされたのはきっと僕だけではない。自分に照らしあわせたのもきっと僕だけではない。

「マジメって、面白い。」映画にはこんなキャッチコピーが付けられている。そうだマジメは面白いものなのだ。みんなのマジメもきっと面白いことになるはずだし、僕のマジメもきっと面白いことになるはずだ。





1つのリーグを続けて、20年。




2013年5月15日、我が国のサッカーを世界で稀に見る速度で成長させたJリーグが20年を迎えた。
Jリーグは「百年構想」を掲げ、理念の達成のため日本において果たす役割を強めようと努力を続けている。この20年の間には幾度かの危機があった。創設バブルが弾け観客数が激減した時、横浜フリューゲルスという強いクラブが無くなった時、他にも存続を問われたクラブは1つや2つではない。それでも40のプロクラブができ、リーグは20年を迎えた。

Jリーグの目下の力点といえば、地域密着と全国的人気とのバランス、さらには東南アジア進出である。一時代を支えたゴン中山が引退してもまったく揺らがない大きな流れができていることに、僕はなんだかとても驚いている。




1つのクラブに、26年。




マンチェスター・ユナイテッドで26年間指揮を執っていたアレックス・ファーガソンが今シーズンでの引退を決めた。
また、それに続くように、90年代後半からファーガソンと共に一時代を築いてきたマンチェスター・ユナイテッドの名選手、デイヴィッド・ベッカム、そしてポール・スコールズの両名が引退を決めた。僕の人生にとってのサッカーは、間違いなく時代が一巡りした。

ファーガソンは現代サッカーにおいては並ぶ者のいなかった長期政権を実現した監督だ。現代サッカーでは3年を待たずして監督が入れ替わることが当然のようになっている。数試合結果が出なかっただけですぐに解任となる。たとえ数年良い成績を収めていたとしても、マンネリ化という別の壁が立ちはだかり上手く回らなくなることが多い。

ファーガソンは決して世界で最先端の戦術を持っているわけでも、最高の選手補強を行っているわけでもない。ただ世界トップの選手がみな萎縮するほどの覇気と勝利への野心を持ち続け、勝利のために時代に合わせて自らを改革していった稀有な人物である。アーセナルが強かった時代はアーセナルを強烈に意識し、チェルシーが強かった時代はチェルシーに勝つチームを編成し、バルセロナが最強となりつつあった時代はバルセロナから学び盗み上回るべくスタイルを変えた。

そうして四半世紀を超えてサッカー界のトップを争い続け、監督1人で3回もの大幅なチーム若返りにトライし、結果38ものタイトルを手にした監督は、敵味方隔て無く世界中から感謝を浴びてピッチから去っていった。僕の見たこともない景色だった。





続けることを続けること。




僕たち凡人は、成功者を持ち上げるのに不必要な壁まで作り、違うものとして扱おうとする。けれどもこれらの例を見ていると、僕たちと彼らとの違いは「続けた時間の長さ」この一点に集約されるのではないだろうか。

続けていると、途中には山や谷がある。それでも続けることを続けると、人の心を動かす何かを成し遂げることができる。1時間や3ヶ月や1年というスパンで物事を見て悪いわけではないが、一方で持つべき長い目というのは、僕らの想像よりもっともっと長くてよいのではないだろうか。


ここ最近だけでも、こんなにたくさんの例があった。そのどれもが僕の心を動かしてくれるものだった。僕は成功者になりたいのか分からない。それよりはゆるゆると暮らしたいのかもしれない。けれども彼らの「続けることを続けること」に少しでも習いたいと思っている自分がいる。



2012/10/16

酒、プログラミング、英語、フットボール。



「グローバル化とは何か」という問いを立てて考えるのは今度にするが'(まあ今回は『地球規模で広まってる』くらいの意味に取ってほしい)、とにかく数百年前に比べたら、輸送コストが大幅に下がったことで、人やモノやサービスは簡単に国境を越えられるようになった。

そんな世界で楽しく生きていくために大切なこととはなんだろう。僕は一つ大きな鍵になるのが「グローバル」に「感情が伝えられる、共有できる」ものを持っているか否かだと思う。それは英語というだけじゃない。世界の色々なところで『キミは良い奴(おもしろい奴)だね!』と思ってもらえる、その意思疎通のために使える武器は他にもあるはず。


例えば酒はどうだろう。酒は有史以前より世界の至るところで伝わる、人類の友である(僕の大好きなヤン・ウェンリーがそう言ってた!)。
国税庁の「酒のしおり」平成24年3月版によると、日本人は成人1人が1年間で平均26.6lのビールを飲んでいるらしい。その他日本酒、リキュールなど全て足した総量は81.8lで、日本人は3日に2缶は酒をぷしゅっと開けていることになる。とんでもない飲ん兵衛国家だ(ところでこの統計、なぜか沖縄県が抜かれている。なぜだ)。
この酒量はすごいと思いきや世界にはまだまだ上がいるようで、この統計 http://www.worldcareer.jp/ranking/detail/id=5(2008年あたりだろうか)を見ると、どこの国も酒飲みばかり抱えていることに疑いの余地はない。酒には初めから国境などなかった。
日本の「飲みニケーション」は確実に減少傾向にあるようだが、相変わらずビジネスにおいて重要であるとの認識は根強く残っているようだ。友人とも「とりあえず飲もう」なんてよく言っている。先日ベネズエラから仕事でお客さんが来たが、彼とのお酒はとても美味しかった。僕は勉強不足であまり英語が得意でないのだけれど「これが僕の娘。これが僕の家の裏にある山。きれいだろ」って会話において彼が何を伝えたかったのかは分かるし、仲良くなれたといえる。
世界の酒の場にアクセスできるというのは、酒が飲めるというのは、酒が好きであるというのは、それだけで多くの人と特別な関係を築ける武器なのではないだろうか。日本酒の一本でもあげれば酒盛りのホストになれるし、外国の人にプレミアムモルツを飲ませれば、こんな美味いピルスナーが日本にあったのかと驚いてくれるはずだ。誰か『武器としての飲酒思考』という本を出したらいい。


グローバル化において、インターネットの果たした役割はやはり大きいだろう。特に仕事に国境をなくした点は評価されるはずだ。輸送コストを下げた主役はインターネットで、これが仕事を新興国にアウトソースする流れを加速させた。さらには新興国市場でシェアを取った製品を先進国市場で暴れさせる『リバース・イノベーション』という戦略も生まれている。本が人気だがまだ読んでいない。
インターネットを支えるのは当たり前だが創るひと、coder(コーダー)であると思う。彼らは話す言葉は違えど、書く言葉によって何を伝えたいか、相手に分かってもらえるらしい。先輩が中国でほぼ言葉なしに、しかしPC上では活発なコミュニケーションを行って中国人と仕事をしているという話を聞いた。手で筆を取って書くよりもとても早く多く文字のやり取りができるから、コミュニケーションのタイムロスはあまりないのだろう。キーの打つ音で「違う違う!」「なるほど」とかを表現できるらしい。とてもおもしろい。


英語の話者は現在15億人ほどのようだ。意外に少ないと思ったが、特にビジネスの現場において絶対的な公用語としての地位を確立している。その公用語としての優位性は、母語としての話者が14億人ほどいる中国語でさえ切り崩すのは容易でないだろう。
日本にもだいぶ、英語を話す必要性もしくは話せない状態の危機感が個人レベルに浸透しているように思う。特に若い世代は収入も低く、今後も上がる見通しは暗い人が多い。それどころか会社の新卒教育のコストを考えると、新卒枠削減による「あらかじめ解雇」の対象に入っているのかもしれない。
「世界の人々とコミュニケーションするための英語」という能動的な理由よりは「解雇されないための能力」や「仕事に必要だから」という受動的な理由で英語を習得する人も多いのだろうが、そんなので学びの動機としては充分なように思う。学んでいて、そのうち楽しく会話できればいいのだ。
日本語のみの話者よりは、日本語と英語を話せる人の方が解雇されにくいであろうし、解雇されてもどこかで次の職が見つかるはずだ。感情を多くの人に伝えられるであろう。性格もオープンになるのかもしれない。


最後に欠かせないのはフットボールではないか。W杯はのべ200億人が観戦するといわれるように(世界中1人あたり3試合は必ず観る計算!)、特にフットボールは凄まじい普及度を誇る。よく「フットボールファンは労働者階級ばかり」という意見をみかけるが、近代フットボールは上流階級子弟の通うパブリックスクールや卒業生によってプレーされていたし(経済力をつけた新興の資本家が上流階級の仲間入りを果たすために子弟をパブリックスクールに送り込んでいたので、広い意味では真の上流階級スポーツではないともいえるが)、現在の広がりは到底労働者階級うんぬんで括られる規模のものではなく、批判にはなっていない。暴動は批判してよいのだが、暮らしに不満を持った人々が感情を発露させやすい環境だという理由でフットボールを批判するのは矛先が違う気がする。
娘がサッカーをプレーしていることで有名なオバマ大統領や、2006ドイツW杯でドイツの全試合を観戦したというメルケル首相の例もあり、別に労働者然とした人々のみが好むスポーツというものではなさそうだ。そういえば彼らは5ヶ月前のG8首脳会議でもチャンピオンズリーグ決勝を観戦しニュースになっていた。写真をご覧頂きたいのだが、みんなの感情が出ていてなんとも笑ってしまう光景だ。
http://www.sanspo.com/soccer/news/20120521/int12052112020006-n1.html
僕は中学2年の頃に日韓W杯のサウジアラビアvsアイルランドを観に行ったが、そこでアイルランド人と肩を組んで写真を撮ったり(数年後ネットを徘徊していたら、日韓W杯美女画像集に出ていた!)Nippon! Ireland!コールをお互い掛け合い笑い合ったことは生涯忘れられないコミュニケーション体験であった。
中学3年には草サッカーチームを作り部活と並行して近隣の大人ともプレーしていたが、思い返すとただの中坊の僕は、サッカーという共通言語(サッカーと呼び名のついた身体運動といってもいい)を介してのみ大人と深く接点を持つことができ、しかも接点が1つにしては多くを学べていたと思う。たまに外国人ともプレーしているが、はっきりいってHey!とYeah!だけでも充分に分かり合えるようになる。言語なんてそんなもんだ、という気持ちにさせてくれる。
海外経験のある人の体験談や、中田英寿らサッカー選手のインタビューや、サッカーマンガでも同様のことは理解してもらえるはずと思う。言語としてのフットボールは非常に優秀である。


実は赤ちゃんは「グローバル」であり「感情が伝えられる、共有できる」武器を持っている。泣くことだ。では大人になったあなたはどうだろうか。僕らは泣くことをやめた代わりに、何か他の武器を身につけているのだろうか。僕らは何をもって世界の人々に『キミは良い奴(おもしろい奴)だね!』と思ってもらうつもりだろうか。



僕らより狭い地球に暮らすはずの僕らの子供に、持たせたい武器は何だろうか。