一万時間練習すれば"本物"になる
マルコム・グラッドウェル著『Outliers』の日本語訳『天才!成功する人々の法則』(勝間和代訳、講談社)を今さらに読んだ。邦題で絶対に損をしている、素晴らしい本だった。天才や世界トップと呼ばれる人々は、なぜそう呼ばれるようになったのか。グラッドウェルはこの理由を神様や生来の才能ではなく、出自、機会、そして一万時間という時間に求めた。
ビートルズはアメリカに上陸する前に何をしていたか。ドイツ・ハンブルクにあるクラブで1日8時間、しかも週に7日、観客を前に全力で演奏していた。1964年に爆発的ヒットを起こし始めたときには、彼らはすでに1200回のライブをこなしていたことになる。
ビル・ゲイツがマイクロソフトを立ち上げる前に何をしていたか。1971年というほとんどの大学にコンピュータのない時代に、たまたまタイムシェアリングというシステムを搭載してプログラミングを存分に学べるコンピュータが大学と近くの会社に導入され、しかも無料で使える機会に恵まれたことでコンピュータルームに入り浸った。マイクロソフトという小さな会社を立ち上げたときには、7年間ぶっ続けでプログラムの開発に取り組んでいた時間の蓄積があった。などなど。
スポーツや音楽で天才と呼ばれるようになった子どもたち。彼らは8歳くらいになると、他の誰よりも多く練習に励むようになっているそうだ。それには比較対象となる生まれ月の問題も存在し、選抜など並外れた機会に恵まれてさらに練習時間に差をつけていく。そうして10年ほどで、一万時間へと到達する。
「頂点に立つ人は他の人より少しか、ときどき熱心に取り組んできたのではない。圧倒的にたくさんの努力を重ねている」とは著者の言葉だ。
一万時間とは途方もなく膨大な量の時間だ。けれども時間をこなすことで"本物"と呼ばれるものになっていく。
1冊の本を作るのに、15年。
遅ればせながら映画『舟を編む』を観た。不覚にも上映中にじわじわ浮いてくる涙を止められなかった。今でも思い出すとほんの少しだけ画面がぼやける。
この映画の何が素晴らしいといえば、このせわしい現代において1人の大したことない主人公を用いて表現した、人生の長さだ。
辞書を作るのには、掲載する用語を集めて、それらの用例を採集して、校正を5回も繰り返す。10年とか28年とか、完成にはそれくらいの時間の長さが必要らしい。
営業に向いていない主人公は、本や文字に没頭する能力があった。辞書編集部に異動した主人公は、ハチワンダイバーよろしく言葉の海に深く潜る。掲載する用語を集めて、それらの用例を採集して、校正を繰り返す。掲載する用語を集めて、それらの用例を採集して、校正を繰り返す。完成には10年くらいかかると聞かされて、途方の無さに意気消沈するのでなく文字を書く手を速める主人公。目標をセンターに入れてスイッチを押す仕事とは一線を画す。
続ける。続ける。続ける。続けていると環境の変化に悲しむこともあるけれど、それでも続けることを続けて、一冊の本が作られていく。その姿に心動かされたのはきっと僕だけではない。自分に照らしあわせたのもきっと僕だけではない。
「マジメって、面白い。」映画にはこんなキャッチコピーが付けられている。そうだマジメは面白いものなのだ。みんなのマジメもきっと面白いことになるはずだし、僕のマジメもきっと面白いことになるはずだ。
1つのリーグを続けて、20年。
2013年5月15日、我が国のサッカーを世界で稀に見る速度で成長させたJリーグが20年を迎えた。
Jリーグは「百年構想」を掲げ、理念の達成のため日本において果たす役割を強めようと努力を続けている。この20年の間には幾度かの危機があった。創設バブルが弾け観客数が激減した時、横浜フリューゲルスという強いクラブが無くなった時、他にも存続を問われたクラブは1つや2つではない。それでも40のプロクラブができ、リーグは20年を迎えた。
Jリーグの目下の力点といえば、地域密着と全国的人気とのバランス、さらには東南アジア進出である。一時代を支えたゴン中山が引退してもまったく揺らがない大きな流れができていることに、僕はなんだかとても驚いている。
1つのクラブに、26年。
マンチェスター・ユナイテッドで26年間指揮を執っていたアレックス・ファーガソンが今シーズンでの引退を決めた。
また、それに続くように、90年代後半からファーガソンと共に一時代を築いてきたマンチェスター・ユナイテッドの名選手、デイヴィッド・ベッカム、そしてポール・スコールズの両名が引退を決めた。僕の人生にとってのサッカーは、間違いなく時代が一巡りした。
ファーガソンは現代サッカーにおいては並ぶ者のいなかった長期政権を実現した監督だ。現代サッカーでは3年を待たずして監督が入れ替わることが当然のようになっている。数試合結果が出なかっただけですぐに解任となる。たとえ数年良い成績を収めていたとしても、マンネリ化という別の壁が立ちはだかり上手く回らなくなることが多い。
ファーガソンは決して世界で最先端の戦術を持っているわけでも、最高の選手補強を行っているわけでもない。ただ世界トップの選手がみな萎縮するほどの覇気と勝利への野心を持ち続け、勝利のために時代に合わせて自らを改革していった稀有な人物である。アーセナルが強かった時代はアーセナルを強烈に意識し、チェルシーが強かった時代はチェルシーに勝つチームを編成し、バルセロナが最強となりつつあった時代はバルセロナから学び盗み上回るべくスタイルを変えた。
そうして四半世紀を超えてサッカー界のトップを争い続け、監督1人で3回もの大幅なチーム若返りにトライし、結果38ものタイトルを手にした監督は、敵味方隔て無く世界中から感謝を浴びてピッチから去っていった。僕の見たこともない景色だった。
続けることを続けること。
僕たち凡人は、成功者を持ち上げるのに不必要な壁まで作り、違うものとして扱おうとする。けれどもこれらの例を見ていると、僕たちと彼らとの違いは「続けた時間の長さ」この一点に集約されるのではないだろうか。
続けていると、途中には山や谷がある。それでも続けることを続けると、人の心を動かす何かを成し遂げることができる。1時間や3ヶ月や1年というスパンで物事を見て悪いわけではないが、一方で持つべき長い目というのは、僕らの想像よりもっともっと長くてよいのではないだろうか。
ここ最近だけでも、こんなにたくさんの例があった。そのどれもが僕の心を動かしてくれるものだった。僕は成功者になりたいのか分からない。それよりはゆるゆると暮らしたいのかもしれない。けれども彼らの「続けることを続けること」に少しでも習いたいと思っている自分がいる。
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